戦前は商業的な扇動、戦後は思想的扇動で国の針路誤らせた朝日
◆破られた朝日タブー
本紙の読者でつくる世日クラブで19日、動画サイト「ユーチューブ」のライブ配信でオンライン講演をさせていただいた。視聴者にはお礼申し上げる。講演は筆者にとっても過去の資料を読み直すいい機会となった。
故・山本七平さんの著作がその一つ。山本書店店主の山本さんは『空気の研究』やイザヤ・ベンダサンの『日本人とユダヤ人』で著名だが、1979年刊の『日本人的発想と政治的文化』(日本書籍)ではこう述べておられる。
「(数年前まで)新聞批判はタブーであった。保守反動政権の中で日本の民主主義を守っているのは新聞だけ、そして新聞の権威が確立しているがゆえに、“軍国主義化”も“逆コース”も阻止され、個人の人権も平和も平和憲法も守られている。ゆえに新聞は聖域であり、その権威には手を触れてはならず、その記事や論説に疑いをもつことは許されなかった」
山本さんが言う「新聞」とはむろん朝日のことだ。新聞批判に対して新聞社は「相手にせず」と黙殺していてもその新聞の読者から「朝日を批判するのは反動の手先」「ベトナム報道・中国報道を虚報だという米帝の犬」といった罵倒のはがきが来た。地方の婦人から「大新聞批判などという大それたことをすると、日本に住んでいれなくなりますよ」との親切な忠告の長距離電話もあった。新聞に「タテをつく」(と、この婦人は言った)人間の出現は考えられぬ非常識な事態と思われた。山本さんはそう述懐している。
その頃から大新聞への「対抗メディア」が現れ、「言論人」「月曜評論」などの専門紙や文藝春秋の「諸君!」(69年)、サンケイ(当時)の「正論」(73年)、そして本紙(75年)が創刊され、朝日タブーは破られた。山本さんは冷戦終焉(しゅうえん)後の91年に鬼籍に入られた。
◆一向に変わらぬ朝日
それから40年も経つのに当の朝日は一向に変わらない。安倍前政権や日本学術会議問題に対して戦前に逆戻りする、軍国主義の足音が聞こえる、平和憲法が壊される、といった言説を繰り返している。戦前の日本を持ち出せば、朝日の“権威”が守られると考えているのなら、恐るべきガラパゴス化だ。
そんなわけで、オンライン講演のタイトルは「朝日新聞『亡国の系譜』 言論はいかにして国を滅ぼすか」とした。系譜とは事物のつながりのこと。それでグーテンベルクの印刷革命から話を起こし、19世紀末の米国でピュリッツァーと新聞王ハーストが繰り広げたイエロー(商業的扇動)ジャーナリズム、20世紀初めのレーニンのレッド(思想的扇動)ジャーナリズムを紹介し、戦前の朝日はイエロー的、戦後の朝日はレッド的で、いずれも国の針路を誤らせた。そんな話をさせていただいた。
ちなみにメディア論は藤竹暁先生(学習院大学名誉教授)から学んだ。藤竹先生は米政治学者ラスウェルの「注目の枠組み」との概念で新聞のラベリング作用を説いておられる。ニュースは時間で区切られ、意図を持った人々によって制作される。そこから焦点化と(そこから外れた)盲点化の環境認識の歪(ひず)みが生み出されるというのだ。
◆焦点化・盲点化に留意
昨今のニュースでいえば、朝日26日付が1面トップから総合面、社会面へと展開した「桜を見る会」前夜祭の費用補填(ほてん)をめぐる安倍晋三前首相の国会質疑。ここで焦点化されたのは118回に上る安倍氏の「虚偽答弁」だ。確かにこの数は多い。が、答弁は質問があってのものだ。つまり野党が同じ質問を118回も繰り返したからこの数字になった。コロナ対策や尖閣問題など内外の課題を棚上げにして、野党はよくも「桜」だけに終始したものだ! こんな見方は新聞では盲点となる。
さて、来年はどんな「注目の枠組み」をもって焦点化し、何を盲点にしてしまうのか。読者はメディア・リテラシー(情報を読み解き活用する能力)を研ぎ澄まさねばなるまい。
(増 記代司)