「党派性を帯びて運動体化」し「一方的な正義感の押しつけ」を行う毎日

◆党派色丸出しの記事

 メディアは7年8カ月の第2次安倍政権をどのように報じたのか。毎日は自社の第三者機関「開かれた新聞委員会」の座談会で評論家らと総括している(4日付特集)。その中で主筆の小松浩氏はメディアの分断が進んだとし、今後の課題をこう述べている。

 「なぜメディアの分断が起きるのか。メディアの側の問題として考えた時、政権擁護が自己目的化しているメディアも、政権批判が自己目的化するメディアも、党派性を帯びて運動体化し、社会の分断を招く点では同じ危険をはらんでいる、ということではないでしょうか。私たちは一方的な正義感の押しつけにならないよう、自問自答しながら報じていきたいと思います」

 小松主筆はメディアが「党派性を帯びて運動体化」することを問題視し、一方的な正義感の押し付けを否定している。まるで他人事(ひとごと)だが、毎日は反安倍の党派性を帯びて運動体化してきた張本人だった。改めるのは歓迎だが、言うは易(やす)し、行いは難しだ。

 現に小松主筆が言っている端(はな)から同じ4日付の社会面に「学術会議任命拒否/意見排除『独裁への危惧感じる』/安保法の違憲性指摘 任命されなかった小沢隆一教授」との党派色丸出しの記事が載った。菅義偉首相から任命を拒否された日本学術会議の新会員候補6人の一人、小沢隆一・東京慈恵会医科大教授のインタビュー記事で、「聞き手・金志尚」の質問が一方的な正義感の押し付けそのものだった。

◆何が何でも政権批判

 第1問は「6人を任命しなかったことについて政府側は理由を明らかにしていません。安保法制などに反対や異論を唱えたことが理由だとの見方が強いです」。これは決め付けだ。東京11日付によれば、任命された99人のうち安保法制に反対する学者の会の署名に応じた人が少なくとも10人いる。

 第2問は「異論を封じ、一方的に物事を進める。こうした『マッチョ』な政治家が支持される傾向があることも、今回の事態の遠因にある気がします」。任命拒否を「異論封じ」とエスカレートさせている。マッチョとは強引とか好戦性とかに使われるが、これも記者の主観にすぎない。

 第3問は「今回のような政府の姿勢を見ると、戦争に突き進んだかつての日本に回帰してしまうのではないかと不安を抱いてしまいます」。もはや質問というより記者のイデオロギー的主張の披歴にすぎない。

 これに呼応して小沢氏は「独裁に向かっていく危惧を感じます」「今回のような学術活動への乱暴な介入は、戦前の弾圧と考え方のレベルでは似た動きと考えていいと思います」と、金志尚記者と共鳴し合っている。なるほど、何が何でも戦前の日本に結び付ける。それが小沢氏の「学問」か。これを政権批判の自己目的化という。

 この記事の上段には「『学問の自由守れ』 学術会議任命拒否 官邸前デモ」の記事が写真付きで載っている。デモには任命されなかった一人、岡田正則・早稲田大教授も駆け付け気勢を上げている。「主催者発表で約300人が参加」とある。記事はデモ側の言いなりで書いたのか。

◆まるで左派系機関紙

 翌5日付社会面には「『日本の将来危うく』 科学者ら抗議」の記事。こちらは先週、本欄で紹介した共産党系「日本科学者会議」の談話や反戦活動家学者の井原聰・同会議事務局長(東北大学名誉教授)の取材記事、さらに「日本私大教連中央執行委員会」「全国大学高専教職員組合中央執行委員会」「全国大学院生協議会」の声明が次から次へと紹介されている。まるで左派系団体の機関紙だ。

 これこそ毎日が「党派性を帯びて運動体化」している証しではないか。「一方的な正義感の押しつけにならない」と小松主筆が本気で考えるなら、隗(かい)より始めよ。それができないなら「われこそ党派性を帯びた運動体」と名乗りを上げよ。口先だけの綺麗事(きれいごと)は通用しない。

(増 記代司)