「ウィズコロナ」の生活、リモートワークの問題点指摘したNW日本版

◆ビデオ会議“疲れ”も

 第2波が来ている。週刊誌は新型コロナウイルスの記事でいっぱいだ。陽性と陰性に擬陽性もある。無症状、軽症、重症化、サイトカインストーム(免疫暴走)、そして後遺症まで。情報が溢(あふ)れ、専門家の見解や解釈も異なっており、何を信じればいいのか、国民は断片的な情報に振り回されるばかり。その中で「コロナうつ」に知らず知らずのうちになっていく。

 こんな時こそ、週刊誌は情報を整理し、「正しく恐れ」「全体で対処する」ことに資する誌面作りをしてほしいと思う。腕の見せどころだ。

 ニューズウィーク日本版(8月25日号)が「新型コロナが生むメンタルヘルス危機」を特集した。「ウィズコロナ」の生活様式がまだ確立せず、慣れもせず、これまでの通常の生活とは違う、窮屈で時に怖くもある新生活に人は心がついていけない。多くの心的危機が迫っているという、ほとんどが重たい記事だ。

 その中で注目したのが「在宅勤務のビデオ会議が疲れる理由」。最近は、会議アプリの名前を取って「Zoom(ズーム)疲れ」なる言葉も出てきている。オンラインで会議をすることで、通勤もなくなり、時間も節約、仕事もはかどると、はしりの頃は評判が良かった。「オンライン飲み会もいける」とまで、新しいテクノロジーにご満悦だったのにだ。

 当然と言えば当然のことで、やはり人間は直接の触れ合い、目を見ての会話、表情やしぐさが伝えるニュアンスなど、トータルで交流をしている。これを動画と音声だけで伝えるには限界があるのは当たり前なのだ。

 同誌は「脳には普段よりも負荷が掛かる」「状況の理解に余計な努力が必要」「相手の反応が1秒遅れただけでも、信頼感が低くなりかねない」と問題点を指摘する。また、「リモートワークをしている人は、組織の中心から離れて働いていることで、仲間外れにされたような感覚を経験しがちだ」とマイナス面も挙げた。

◆“オフ”の効用触れず

 実のある仕事もしていないのに、会社に来て座っているだけで、仕事をしていると評価しがちな日本社会がリモートワークを受け入れていくには時間もそうだが、文化的な変化も必要だ。こうしたストレスから「社員を守るコツ」の記事も載せているが、ノウハウもので、人事管理者なら普通に思いつくものばかり。

 これまでネット民は「オフ会」を開いてバランスを保っていた。オンラインだけでなく、生身の交流をもって補っている。デジタルの発展と並行するようにアウトドア・ブームが来ているのがその証左だ。各種スポーツはもちろんのこと、登山、キャンプ、ロードバイク、ジョギング、等々、デジタルやネットとは対極の自然の中で体を使うことで心と身体の均衡を保とうという本能に従ったものだ。同誌がストレス対策として、こうした“オフ”の効用に触れていないのは物足りない。

 コロナ禍はアウトドア活動まで制限した。半面リモートワークでネットコミュニケーションばかりが増えた。バランスが著しく崩れているのだ。これでは「うつ」になるなというのがムリ。

◆問われる情報活用力

 アエラ(8月24日号)は「医療崩壊」に焦点を当てた特集を組んでいる。感染数が増えている状況で医療現場のアンケートを通じて実情を伝えるいい企画だ。

 別記事の「家庭内感染で『9月危機』」、またサンデー毎日(8月30日号)の「わが家が一番危ない!」の記事は共通して家庭での予防の重要性を強調した。これで予測されるのは外で働く家族の立場だ。帰宅後のコロナ対策は煩わしいもので、ここでもストレスがたまるが、これも「ウィズコロナ」での“新生活”か。

 同誌はむしろ後遺症の方を警告する。「ジャーナリストの鈴木隆祐」による記事で、後遺症の“怖さ”を実例で報告していて読み応えがある。「重症者の8割に後遺症が残る」という深刻な現状を伝えた。厚生労働省は「研究を今月(8月)から始める」としているが、あまりにも対応が遅い。いつから重症患者が出ていたというのか。

 山のようなコロナ情報。結局、情報に溺れつつ、記憶にとどまるのは自らが得たい情報だけ。情報リテラシーも問われる昨今の状況だ。

(岩崎 哲)