かつての捨て台詞ジャーナリズムを想起させる朝日の防衛白書報道
◆反政府感情が余韻に
かなり以前の話だが、捨て台詞(ぜりふ)ジャーナリズムというのがあった。
テレビのワイドショーでのことだが、コメンテーターが一通り意見を述べた後、画面がCMに切り替わる直前に司会者が「これはひどい、自民党は許せないですね」などと発言する。その途端にCM。だから誰も反論できず、トゲトゲしい反政府感情だけが視聴者の余韻に残った。
それで捨て台詞ジャーナリズムと呼ばれた。テレビ朝日の報道番組でタレントの久米宏氏が盛んにこの手法を使った。一種の偏向報道テクニックである。朝日の「防衛白書」を報じる記事を読んで、この捨て台詞ジャーナリズムが頭に浮かんだ。
令和2年版の防衛白書は14日、河野太郎防衛相が公表した。今年版の特徴は「北朝鮮や中国が、日本などの『ミサイル防衛網の突破』を目的にミサイル攻撃能力を強化し、脅威が増していることに強い警戒感を示した」(読売15日付)というのが特徴だ。白書の「要約」は読売と毎日などに掲載された。
朝日は14日付夕刊1面に短報で「陸上イージス配備撤回 防衛白書に」と報じ、翌15日付に詳報を載せた。詳報といっても4面、それも3段見出しの目立たない扱いだった。「中国『自らに有利な国際秩序』狙う/防衛白書 警戒あらわ」との見出しの下、一通り白書の「警戒感」は伝えるが、記事の末尾に例の捨て台詞があった。
「中国外務省の趙立堅副報道局長は14日の定例会見で、防衛白書について『中国に対する偏見と虚偽に満ちたものだ。いわゆる中国脅威を全力であおり立て、日本の一部勢力の隠れた心理があらわになっている』とし、日本側に抗議したことを明らかにした」
記事の本文はほぼ70行。このうち最後の10行がこれである。朝日は中国のスポークスマンに久米氏よろしく、捨て台詞を吐かせ、白書の内容を否定させていたのだ。記事の末尾に(寺本大蔵、北京=冨名腰隆)とあるから、編集者が二つの記事をくっ付けたのだろう。つまり捨て台詞は作為されたものだった。
◆白書は国民への報告
そもそも白書とは何か。この際、白書の意義を考えておきたい。ブリタニカ国際大百科事典にはこうある。
「政府の活動分野ごとに、一般状況、活動、将来のあるべき状況とその実現方法などを明らかにした政府の公式文書。イギリスのこの種の文書の表紙が白色であったことから白書と呼ばれる。民主制のもとで国民による行政監督を助けるために、政府自身が提供する情報である。日本でも第2次世界大戦後から各省庁で発行されている」
白書は言ってみれば、国民への報告書であり、それが存在するのは「民主国家」の証しである。それ故に他紙は「要約」を掲載した。日本の報道機関なら報じるのは一種の義務だ。他国それも独裁国にとやかく言われる筋合いはない。それを朝日はわざわざ言わしめているのである。
もとより他国には他国の考えがあろう。それを報じるのは構わない。だが、白書を伝える本文の中ではなく、別建てにするのが報道の常識ではないか。それをしないで捨て台詞で使う。こういう神経だから「朝日はどこの国の新聞か」との疑問を突き付けられるのだ。
◆「国民の理解」を遮る
おまけに朝日15日付社説は「防衛白書50年 『国民の理解』こそ原点」と言う。今年は1970年の刊行開始から50年の節目に当たるとして、河野防衛相が巻頭言で創刊当時の中曽根康弘防衛庁長官の「国の防衛には、何よりも国民の理解と積極的な支持、協力が不可欠である」との言葉を引いたことを取り上げている。だが、肝心の中朝への「警戒感」には全く触れず、自衛隊をあげつらっているだけだ。
「国民の理解」を遮ってきた張本人が何を今さらである。捨て台詞ジャーナリズムの妄言に惑わされてはなるまい。
(増 記代司)