若手大学人の研究環境の悪化を語り、「海外雄飛」を勧める鹿島茂氏
◆研究資金豊富な海外
フランス文学者で明治大学国際日本学部教授だった鹿島茂氏が週刊文春6月4日号「私の読書日記 海外雄飛のすすめ」で、若手大学教員や研究者の苦況について書いている。
今年3月31日をもって42年続けた大学教員生活に終止符を打った鹿島氏。「つくづく思うのは日本アカデミズムに未来はないということ。若い研究者はほんとうに可哀想だ。いっそ、海外で就職することを真剣に考えた方がいい」と。
同欄は識者が最近読んだ本についての書評に加え、そのテーマに関連した自らの主張も交えている。鹿島氏のくだんの嘆きは、増田直樹著『海外で研究者になる 就活と仕事事情』(中公新書)の書評に対する文章の書き出しの一節。
若い研究者はなぜ可哀想なのかは、この本からの抜粋がある。「海外の大学に就職することの長所を挙げてみる。/若くして研究室を運営できる。最先端の研究者が周りに多い。研究資金が豊富。夏休みが長く、その間は研究や私事にまとまった時間を使える。会議など、組織のための業務が少ない。学会業務なども少ない。給与が高い。家庭や子育てと両立しやすい。年功序列ではない」。これらと真逆の状況が、日本の若手研究者の現状だというわけだ。
◆私学助成金など減少
2004年の国立大法人化以降、政府の運営費交付金は毎年1%ずつ、私学助成金もそれに応じて減っている。国の交付金縮小の影響で博士取得後の若者が正規の助教職などに着任できず、数年にわたって時には10年近くも任期付きの契約雇用の職で教育・研究を続けざるを得ない実情がある。いつ失職するかもしれない状況で40歳を迎えるようでは結婚もままならない。15年には文部科学大臣による「人文・社会科学系学部・大学院に対する組織見直し」通知が出た。理系より文系の専門職の方が、さらに研究環境は厳しい。
今年3月まで現役だった鹿島氏の「日本アカデミズムに未来はない」という直言は唐突なようで、かなり核心を突いているのではないか。「日本の大学で不本意な研究生活をおくっている若手研究者はためらっている必要はない。いますぐ本書を熟読して『海外雄飛』すべきである」と繰り返している。
ただ、公募突破のハードルも相当高い。当の一冊には「海外就活の王道は公募」として、それに必要な提出書や競争を突破するためのノウハウが出ている。特に重要なのが「推薦書」で、本気で書いてくれる人、また有名な人を探すべきだという。しかるべき人とどうやって知り合えばいいか。鹿島氏は「海外ポスドク、在外研究、共同研究、学会などをフルに利用し、将来を見据えて、コネ造りに励むのがベスト」とアドバイスしている。
実は今「博士課程を出た後の身分保証がないから」と、既に修士課程で学問の世界に見切りをつける人もいて、全分野で2000年ごろに比べると、博士課程に行く人が60%くらいまで減っている。「海外雄飛」志向以前に挫折しているのだ。大学としてアカデミックな教育・研究の場をどう再生させるか、若手研究者にだけ重荷を負わせるのでなく、国を挙げて対策を取るべき時だ。
◆東京者は病原菌扱い
一方、新型コロナウイルス禍関係では、週刊新潮6月4日号に「東京者は病原菌扱い!『県をまたぐ移動は慎んで』の家族分断」のタイトル。いわゆる“コロナヘイト”の悲劇の内容だ。
その中で、感染者のいない岩手県の出身者は、「感染者ゼロを死守しようという集団心理が働き、もし感染第1号になろうものなら、どういう目に遭うやもしれぬ? それ以外でも地域の第1号になったりしたら、犯罪者扱いの末に村八分が待っている」と言うのである。本紙5月16日付「記者の視点」では森田清策氏が「コロナ感染と差別」と題して宮城県での例を挙げている。
(片上晴彦)