コロナ対策で読むに値する読売の「教訓」、政府の足引っ張り続けた朝日
◆罵声に近い安倍攻撃
新型コロナウイルスの感染拡大を受けた緊急事態宣言が全面解除された。途端に第2波の襲来か、東京や北九州市で感染者が増加している。コロナ対策は道半ばだが、各紙はひとまず政府の対応を総括している。
朝日は「教訓くみとり『次』に備えよ」と言う(26日付社説)。その教訓とは「アベノマスク」「現金給付策」「唐突に打ち出したイベント自粛や全国一斉の休校要請」などを批判し、「国民の心に響く首相の発信も乏しかった」「『肉声』はほとんど聞かれなかった」「(専門家に)責任を丸投げするかのような説明が目立つ」等々、罵声に近い安倍攻撃で、「政府のコロナ対策を厳しく点検する場として、国会は当面、開き続けるべき」だと野党をけしかけている。こういう主観的な「教訓」はコロナ対策の屁(へ)の突っ張りにもなるまい。
その点、読売の「教訓」は読むに値する。滝田恭子・編集局次長は26日付1面の「偶然頼みから脱したい」の中で、2010年、前年に大流行した新型インフルエンザの対応を検証した厚生労働省の総括会議が新たな感染症の発生に備え、検査や医療体制の強化を提言していたとし、「10年を無為に過ごし、800人以上が亡くなった今回の教訓をいかさねばならない」と警鐘を鳴らしている。
「無為に過ごした10年」の指摘は他紙にない。新型インフルを踏まえて「行動計画」は立案されたが、いかんせん体制づくりが棚上げにされた。10年の最初の2年は立憲民主党の前身の民主党政権だったから、安倍政権だけでなく与野党を含めた「政治の不作為」と言ってよい。この点はもっと検証されるべきだ。
ちなみに滝田氏が「偶然頼み」とするのは「重症化を防いだのは医療水準の高さか、マスクや手洗いなどの生活習慣か。日本人に多い遺伝子のタイプがウイルスに強いのか。あるいは偶然の産物か」と、防止が確固たる感染症対策による「必然」でなかった脆弱(ぜいじゃく)性を指摘したものだ。これも今後の課題として残る。
◆遅れた宣言・入国拒否
読売は27日付「検証『緊急事態』」で二つの「失敗」を追っている。一つは、国民が疑問に抱く宣言の遅れだ。政府は当初、3月28日か29日に宣言を発令する準備を進めていた。ところが、25日に東京都内で感染者が激増、小池百合子都知事の「ロックダウン(都市封鎖)」発言で買い占め騒動が起こり、政府はパニックを懸念して結局、4月7日の発令となった。国と知事の「双方の責任分担が曖昧」な特措法の“欠陥”が背景にあると読売は見る。
もう一つは欧州入国拒否の遅れだ。3月に感染の中心が欧州に移ったが、入国制限は3月21日、全面拒否は27日にずれ込み、ウイルスの国内侵入を許した。政府の動きが鈍かったのは、2月の全国一斉の休校要請が「独断専行」と激しい批判を浴び、それに懲りて首相は新たな措置を出すのをためらったという。
◆新たな戦略求む産経
一方、産経26日付主張は「宣言時はもちろん、宣言前にさかのぼり政府などの行動を検証する必要がある」と指摘する。「中国・武漢の流行を前にしても政府の腰は重かった。全国一斉休校の表明(2月27日)や、習近平中国国家主席の国賓来日延期と同じ日の中国全土からの入国規制の発表(3月5日)あたりから、政府のエンジンはようやくかかったようにもみえる」とし、「対応検証し新たな戦略を示せ」と迫っている。
こうしてみると朝日の特異性が浮き上がる。1月から2月は「桜を観る会」「モリカケ」の追及にうつつを抜かし、全国一斉休校には読売にあるように「独断専行」と激しい批判を浴びせ、緊急事態宣言の法的根拠となる特措法については反対の共産党などと歩調を合わせ、「市民の権利を制限」すると懸念ばかりを言い立てた(3月12日付社説)。
何のことはない、政府の足を引っ張り続けたのが朝日だ。偏向ウイルスに感染しないようお互い気を付けたい。
(増 記代司)