「信頼の礎は情報開示」と論じながら身内の感染情報開示に消極的な朝日

◆「責任と義務」自覚を

 安倍晋三首相は先週、「緊急事態宣言」を発令した。緊急事態? そんなの憲法にないぞ、と護憲学者も言わなくなった。戦後憲法は実に影が薄い。言わずもがな緊急事態条項を設けない「平時憲法」は用なし、なのである。

 だが、宣言で新型コロナウイルス禍を克服できるか予断を許さない。海外と違い「国民へのお願い」ばかりで、強制力が伴うのはごく一部、ロックダウン(都市封鎖)もできない。克服のカギは密閉、密集、密接の「3密」を防ぐ国民の行動だという。

 ならば、どんな精神で臨むべきか。昔ならこう言った、「一旦(いったん)緩急アレハ義勇公ニ奉シ」(緊急事態になれば、公のために果敢に奉仕せよ=教育勅語)。今、新型コロナ禍の最前線で対応する医療従事者に「感謝の拍手」を送る動きが出ているが、それは感染リスクを負いながらも自己犠牲をいとわない「義勇公ニ奉シ」への感謝からだ。

 自己犠牲もまた「すべて国民は、個人として尊重される」(13条)人権憲法とは縁が薄い。かつて朝日は世論調査で「憲法が掲げる個人の尊重が足りないか。それとも憲法のせいで利己主義が広がっているか」と問うたところ、「個人の尊重が足りない」は34%だったが、「利己主義が広がっている」は45%に上った。

 また「自民改憲案は自由と権利には責任と義務が伴うことを自覚するよう国民に求めているが、望ましいか」の問いに、「望ましい」が68%を占めた(2013年5月2日付)。新型コロナ禍は改めて国民に「責任と義務」の自覚を促していると言えよう。

 だが、朝日はお構いなしだ。宣言翌日の8日付社説は「(これまで社説で)市民の自由や権利を制限し、社会全体に閉塞(へいそく)感をもたらす緊急事態宣言には、慎重な判断が必要だと主張してきた。…(特措法の「基本的人権の尊重」の項目)の重みを十分踏まえた対応を求める」とし、政府が国民に協力を求めるなら、「正確で十分な情報が遅滞なく開示される必要がある」と、「信頼の礎は情報開示」と論じた。

◆本社や販売所で感染

 白々しいと言うほかない。先週取り上げたが、朝日は東京本社編集局の30代女性記者の感染記事では(5日付)、情報開示が乏しかった。東京本社の50代男性論説委員も感染したが、10日付は16行のベタ記事。共同通信の配信では「(朝日は)『感染拡大を防止するために職場の消毒を済ませた。今後も保健所などの指導に基づき、必要な措置を取る』としている」とあるが、朝日記事にはない。

 新聞記者は「ぶら下がり」と称して安倍首相や閣僚にまつわりつく。情報開示にほど遠い朝日の姿勢を見れば、君子危うきに近寄らず。官邸が宣言以降、記者会見の人数を減らすなど「3密」を防いでいるのは適切な対応だ。

 さらに千葉県松戸市にある朝日販売所でも感染が確認された。朝日9日付には「社員の男性」「主に管理や事務を担当する販売所社員」「男性は1日に発熱し、8日に陽性と確認」とあるが、行動歴は書かれていない。千葉県の報道資料を見ると、該当するのは「県内284例目」で、「60代男性 職業:会社役員 居住地:松戸市 発症前2週間以内に海外渡航歴はなく、肺炎患者との明確な接触も確認されていない」とあった。松戸市の資料では「市内31例目」で、県と同様の内容だ。

◆年齢隠蔽し肩書捏造

 これが事実なら松戸市の朝日販売所の感染者は60歳代、会社員でなく会社役員ということになる。なぜか朝日は年齢を隠蔽(いんぺい)し、肩書を捏造(ねつぞう)している。「信頼の礎は情報開示」の能書きが白々しい所以(ゆえん)だ。

 仏政治思想家のアレクシス・ド・トクヴィルはこう言っている。「個人主義は、初めはただ公徳の源泉を涸(か)らすのみである。しかし最後には、他のすべてのものを攻撃し、破壊し、そしてついには利己主義のうちに呑(の)み込まれるようになる」(『アメリカの民主政治』)。個人の尊重ばかりを唱える朝日に当てはまる。

(増 記代司)