緊急事態への備えがなく国民を守れない現行憲法を守ろうとする朝毎
◆甘過ぎる日本の対応
新型コロナウイルスによる肺炎が広がっている。2003年のSARS(重症急性呼吸器症候群)も新型コロナウイルスだった。はて、ウイルスとは? なぜ神はこんなやっかいなものを創り給うたのか、いぶかる御仁もおられよう。が、どうやら人間の創造に関わっているらしい。
ウイルスは遺伝子をタンパク質の膜の中に包み込んだ極小の粒だ。生物は2本鎖のペアのDNA(デオキシリボ核酸)に遺伝情報を持ち、二重らせん構造で自らコピーし、間違えば修復する。これで遺伝情報を正しく伝えてきた。
だが、ウイルスには二重らせん構造がなく、自らコピーできない。それで他人(宿主)の細胞に入り込み、コピー機能を借用して複製する。時にエラーが生じ別のウイルスとなるが(変異)、種の壁を越えて遺伝子を運ぶので生物は新たな「形態」に移行できる。それで人が創られた。そんな説がある(中原英臣・佐川峻『ウイルス進化論─ダーウィンへの挑戦』泰流社)。
人の体はウイルスや微生物の侵入を前提に防御システムを備える。侵入者を食べるマクロファージ、攻撃ミサイルのように侵入者を破壊するキラーT細胞がそうだ。この細胞は実に100万種の侵入者を想定し待ち構える。適当な弾丸がなければ製造する。それには2日ほど要するので、事前に弾丸の鋳型を作っておく。それがワクチンだ。
さて、新型肺炎への防御システムはどうか。中国・武漢から政府のチャーター便の1便で帰国した日本人のうち、2人はウイルス検査を拒否して帰宅した。安倍首相は「法的な拘束力はない。人権の問題もあり踏み込めないところもある」と述べている。何とも甘ったるい。
これに対して米国はチャーター便で避難した自国民をカリフォルニア州の空軍基地、オーストラリアはクリスマス島に隔離する(読売2日付)。日本政府は1日、「指定感染症」に定めたが、感染が確認されていない人には拘束力はない。これではザルだ。
◆医療のみでは防げず
そこで産経は「『国が強制的な措置をとれない』という具体的な事案が生じ、『法の不備』を埋めるための改憲論議の活性化」を説く(1月31日付)。本紙社説も緊急事態条項の論議を促す(2月1日付)。
甘ったるい元凶は憲法なのだ。海外では「憲法に緊急事態時の規定がない国は皆無」(西修・駒澤大学名誉教授)。例えばドイツ基本法(憲法)は11条1項で「移動の自由」をうたうが、2項で「伝染病の危険、自然災害、重大な災害事故に対処するために必要な場合、または青少年を非行化から守り、犯罪行為を防止するために必要な場合、これを制限する」と明記する。
人の体と同様に緊急事態に備える。その規定が日本の憲法にないから問題なのだ。ところが、毎日の青野由利・専門編集委員は、「大事なのは新型インフルエンザで構築した医療体制をいつでも使えるように準備しておくこと。緊急事態条項? 関係ない」(1日付「土記」)と否定する。医療体制のみで感染症が防げると言うなら底抜けの甘ちゃんだ。中国の惨状を見れば分かる。
◆民主主義否定の憲法
護憲の朝日は「(未知の感染症への対応の)ひとつは、常に最新の知見に基づき、被害を過小に見積もらないこと。もうひとつは、行動の自由を制限する措置は最小限とし、人権を不当に抑え込まないことだ」(1月30日付社説)とくぎを刺す。ならば「人権を正当に抑え込む」のは是か。憲法に正当の規定もないのに、だ。
ここは野党連合に熱心な小沢一郎氏に聞いてみよう。憲法に緊急事態条項がないことについてこう述べている。
「これは恐るべきことである。民主主義の否定であり、独裁の論理である。非常事態に備えて、きちんとしたルールを決めなくてはならない」(「日本国憲法試案」=『文藝春秋』1999年9月号)
現行憲法は民主主義を否定する残念な憲法なのだ。朝毎はそれでも護憲の旗を振る?
(増 記代司)