これまで何十回となく本を処分してきた。…
これまで何十回となく本を処分してきた。古書店相手の場合、多い少ないはともかく、お金がもらえる。近所の処分所へ運んだこともあった(お金はもらえない)。今回処分所に運び込んだのは、古書店が買い取ってくれるはずがないような本ばかりだからだ。
今回は「読まない」本(不要となった本)ではなく、「読めない」本を処分した。機会があれば読みたいこともあるだろうが、活字があまりに小さいので、メガネを掛けてもしんどくて読めない本が中心だ。文庫本が多い。なぜか、新書の活字は文庫本ほど小さくはない。
半面、どんなことをしてでも読みたい可能性のあるごく少数は残した。今後、手に入りやすいかどうかも考慮する必要がある。それでも処分後、同じ本を新たに書店で買ったケースも多い。
半世紀前の文庫本の活字は小さい。そんな本を裸眼で平気で読んでいた昔が懐かしい。出版社も読者も、当たり前にそうしていた。
新聞も事情は同じ。スクラップブックで1960年代の記事を見る機会があるが、「メガネ+ルーペ」であれば何とか読むことが可能だ。
「みんな若かった」「時代が若かった」などと、余計な感慨にふけることもあるが、感慨よりも何よりも、視覚の実際の問題なのだからどうにも仕方がない。「読むに値する価値はあるのに……」と認識しながら処分される文庫本を見ると、物には違いないが、それを超えた何かがそこに詰まっているのが感じられる。