炎上する映像を視(み)て茫然(ぼうぜん)…


 炎上する映像を視(み)て茫然(ぼうぜん)、跡形なく焼失した姿を見て愕然(がくぜん)、なぜこんなことになったのかと思うと憤然としてくる。那覇市の首里城の焼失はそれを心の拠り所としてきた沖縄の人々だけでなく、多くの日本国民にとっての衝撃であり、喪失感は大きい。

 沖縄の歴史と文化を象徴する建物であるばかりでなく、中国と日本の様式を融合させた独特の形は、日本文化の多様性も示している。

 1945年の沖縄戦で焼失し、89年から30年かけて復元工事を行い、今年1月に完了したばかりだった。2000年には城跡が世界文化遺産に登録されている。

 戦後、国宝級文化財の焼失事件はいくつかあった。1949年の法隆寺の金堂壁画焼失、50年の鹿苑寺・金閣の炎上などである。これらは占領期で、まだ落ち着きと余裕のない時代に起きた不幸な事件だったとも言える。

 しかし戦後75年近くなり、文化財保護行政も相当に行き届いているはずだ。4月には同じく世界文化遺産のパリのノートルダム大聖堂の火災を受け、文化庁が国内で緊急調査を実施し、9月には国宝・重要文化財の建造物の防火対策充実に向けたガイドラインを自治体に通知したところだった。出火原因はこれからの調査を待たねばならないが、いかにも残念だ。

 首里城は復元建築のため調査の対象にはならず、スプリンクラーの設置もなかった。沖縄戦の前にも3度焼失しているが、今度再建する時は十分な防火対策を講じてほしいものだ。