先月末に亡くなった大村彦次郎氏は、文芸雑誌…


 先月末に亡くなった大村彦次郎氏は、文芸雑誌の名編集者として知られた。名前が幕末維新時の長州の軍略家大村益次郎と1字違いだ。文壇3部作と言われる『文壇うたかた物語』『文壇栄華物語』『文壇挽歌物語』を残した。戦後文壇史に関心を持つ人間にとっては必須の著作だ。

 3部作中の「吉村昭芥川賞誤報事件」は、受賞の報を聞いた吉村が会場に着くと「実は誤報だった」と伝えられたというひどい話だ。通信手段が貧弱だった昔は、誤報と分かってもそれを当人に伝えることができなかった。

 「葬式の翌日から忘れられる作家がいる」という恐ろしい名言を残したのは永井龍男だ。「うたかた」「栄華」「挽歌」という3部作のタイトルそのものが、文学史の過酷さを物語る。

 「完成度が高過ぎる」との理由で直木賞を逃した作家もいる。確かに完成度が評価基準の全てではないが、落とされた作家にとってはたまったものではない。

 谷崎潤一郎の実弟が和歌山県の旅館で下足番をやっていたというエピソードも、大文豪の兄とその弟を「まるで違う運命」と対比する著者の眼(め)の厳しさを物語る。

 大村氏は、メモを全く見ることなく2時間の講演をすることができるという伝説があった。1度だけこうした機会に出会ったことがあるが、演壇の上には水以外何もなかった。事実誤認は許されない場であることを考えると、自身の記憶力に並々ならぬ自信を持っていたことがうかがえる。