『万葉集』第一の歌人は柿本人麻呂だろうが…


 『万葉集』第一の歌人は柿本人麻呂だろうが、広げて言えば人麻呂は、日本文学史上最大の詩人でもあろう。「淡海(おうみ)の海(み)夕波千鳥汝(な)が鳴けば心もしのにいにしへ思ほゆ」(『万葉集』266番)。

 人麻呂には傑作が多いが、この歌もその一つだ。琵琶湖の夕波の風景の中で千鳥が鳴いている。この声を聞くと、心がしおれてしまうほどに昔のことが思い出される、というのが歌の意味だ。

 では千鳥は、どこでどうしていたのか。国文学者の故西郷信綱氏は、空を飛んでいるとする。国文学者の中西進氏(新元号「令和」の発案者と言われる)も同じ説。斎藤茂吉は、低空を飛んでいるといささか細かい。

 ところが佐佐木幸綱著『柿本人麻呂ノート』(青土社/1982年)によれば、自分は千鳥が飛んでいると考えたことがないという。千鳥は琵琶湖の岸辺にいる。その向こうに夕波がある。なお「夕波千鳥」は、人麻呂の造語と一般に認められている。

 歌だからまずは直観で捉えるしかないが、ここは佐佐木説に同意したい。千鳥が空を飛んでいたのでは夕波千鳥と似合わないという理由も含めてそう思う。

 「いにしへ」とは大津に都があった時代(667~72年)。実力者天智天皇の時代だ。人麻呂の生没年は不明だが、現滋賀県大津市にあって、わずか5年で壬申の乱によって滅んだ大津の朝廷の末端に彼が属していた可能性はある。5年の短さ故に、逆に彼の記憶に残っていたとも考えられる。