「おまえなんかこの世に必要のない人間だ」…
「おまえなんかこの世に必要のない人間だ」と会社の上司が部下に対して言えば、今どきはパワハラとされるだろう。が、初めから「自分はこの世に必要がない」と考えている人間もいる。「余計者(必要とされない人間)もこの世に断じて生きねばならぬ」というのがその一例だ。小林秀雄著「Xへの手紙」(昭和7年)という小説の一節だ。
「余計者だから自殺する」というのではない。余計者と認めた上で「断じて生きる」。そのためには自分の居場所を確保しなければならない。楽な話ではない。才能と努力だけが頼りの世界だ。
文学や哲学、芸術がなくても人間は生きていけるわけだから、その意味で小林は必要のない人間だった。そんなことを言えば、プラトンもニーチェもゴッホも同じだ。
彼ら天才たちは、世の中の必要のために生きたわけではなかった。好きなことをやっていたら、多少は有名になって、ゴッホなどは今や愛される画家となった。
小林もゴッホも、自分の好きな分野に没頭した結果認められただけだ。ゴッホに至っては生前の評価はほとんどゼロ。名声を得た自分を全く知ることもなく自殺してしまった。
「世の中の役に立とう」などといった発想から出発した天才はいない。必要不必要は眼中にないまま、やりたいことに熱中した。好きなことをやっているのだから、努力も苦にならなかった。努力も才能のうちだからだ。「必要のない人間」だって捨てたものではない。