文芸評論家、江藤淳の没後20年を記念して…


 文芸評論家、江藤淳の没後20年を記念して「江藤淳は甦える」と銘打った日本出版学会主催のシンポジウムが命日の先月21日、都内で行われた。

 生前、連合国軍総司令部(GHQ)による検閲問題を追及した頃、「生き埋め」にされた江藤は、没後もまた忘れ去られようとしていた。しかし20年を経て、長編評伝の出版や代表作の復刊など、再び光が当てられようとしている。

 シンポではソウル大学日本研究所研究員の金志映さんの「アメリカとの関係からみた江藤淳」と題した報告が興味深かった。江藤はロックフェラー財団創作フェローとして米国に招かれ、その経験を元に『アメリカと私』などの作品を残している。

 この留学プログラムは、米国の対日宣伝の一環で、江藤の前には福田恒存、阿川弘之、小島信夫らの作家が招かれている。それが日本の作家にどういう影響を与えたかが金さんの研究テーマだ。例えば広島市出身の阿川は、米国留学前に原爆をテーマにした『魔の遺産』などを書いているが、留学後は原爆がテーマの作品は書かなかったと指摘する。

 もっとも金さんは、財団フェローとして留学した庄野潤三の作品が大好きという人で、政治的側面からのみ日本文学を観(み)ているわけではない。

 それにしても阿川らと違い江藤は、1979年に再渡米して占領史の1次資料を発掘調査し、『一九四六年憲法-その拘束』などの占領3部作を書き上げた。米国にとって最も手強い文士だった。