商業捕鯨が今月、再開された。鯨で思い出す…


 商業捕鯨が今月、再開された。鯨で思い出すのは、小学校の給食の鯨カツだ。「臭い」との理由で食べられない同級生(女子)が何人かいて「食べてほしい」と訴えた彼女らから鯨カツをもらって食べるのが通例だった。「2人まで」というのが決まりで、自分の分も含めれば3人前を食べるのだが、「臭い」という印象はなかった。

 たまに豚カツが出たことがある。給食メニュー担当の家庭科の先生が「今月は奮発して豚カツにした。予算が限られているので結構苦労する」というような話をしたことを覚えている。昭和30年代前半は、鯨の肉が豚肉よりも安かった。

 千葉県南部の安房地方では「鯨のたれ」という食品が出回っている。「たれ」といっても、独特のタレに漬け込んだ鯨の肉で、好き嫌いはともかく、一部では知られている。これも立派な食文化だ。

 米国のペリー提督が1853年、浦賀沖にやって来たのは、灯火用の鯨油を確保するため、捕鯨船の中継基地として日本を選んだからだったと言われる。

 その後、米国内で油田が発見されたので、鯨油の問題はなくなったが、それがキッカケとなった欧米諸国と日本との関係は継続している。

 灯火用の鯨油は、人間が肉を食べない点で明らかにムダな話だが、それも鯨文化には違いない。文化には、はやり廃りが付き物ではあるが、商業捕鯨再開を契機に、鯨肉を食べることを含め、日本の古くからの鯨文化に触れてみたい。