気流子が子供のころの町での会話。「正月は…


 気流子が子供のころの町での会話。「正月はどうやって過ごすの?」と年長の男性が聞く。「寝正月ですよ」と問われた男性が即答する。「寝正月」という言葉は初耳だったが、意味は分かった。

 「正月を寝て過ごすのか!? 悲惨な話だ」というのが感想だった。「せっかくの正月なんだから、もっと楽しく過ごせばいいのに」と思ったことははっきり覚えている。「大人の世界も案外厳しいものだ」とも感じた。

 寝正月という言葉は、今では耳にする機会もあまりない。ただ、俳句の世界では季語の形で残っている。

 「虚子庵に不参申して寝正月」。高浜虚子の弟子、松本たかしの作だ。虚子庵は神奈川県鎌倉市のほか、幾つかあるらしい。正月だから、師匠の名の付く施設に本来は行くべきなのだろうが、今年は寝正月で許していただこうといった調子だ。

 「気がつけば今日七草ぞ寝正月」(清水径子)。正月7日になって振り返ってみれば、今年は寝正月だった。その自覚もないままに過ごしてしまったことを1週間たって思い出した。寝正月が回想の形で出てくるのが面白い。

 かつて正月は非日常(ハレ)で、日常(ケ)との区別ははっきりしていた。それが歴史の流れの中、この区分けはどんどんアイマイになっていった。日本だけの話ではなく、世界の潮流のようでもある。寝正月という語も、ハレとケの区別が今ほどアイマイではなかった時代を表していたようにも思われる。