「いったい、これがわれわれの祖先によって…
「いったい、これがわれわれの祖先によって作られたものなのだろうか? これらはふつう考えられている、なごやかで繊細な日本の伝統とはまったくちがっています。むしろその反対物です」(「縄文土器」)。
美術家の岡本太郎がヨーロッパから帰国して、1952年に縄文土器に出会った時の驚きの言葉である。荒々しく、不協和音がうなりを立てるような不思議な形態。圧倒されるような文様。
考古学の調査や考証は進んでいたが、編年や分類にばかり重点を置いていて、芸術としては捉えられていなかった。太郎は独自の形を社会学的に考察し、その美の発見者となったのだ。
東京・上野の東京国立博物館で「縄文 1万年の美の鼓動」が開かれている。地方の博物館と異なって傑出した出来栄えの作品がそろっている。「火焔型土器」「土偶 合掌土偶」「土偶 仮面の女神」など、縄文の国宝6件すべてが集結したのも初めてのこと。
太郎は社会学的に狩猟採集生活との関連から縄文土器の形状の由来を考えたのであったが、同時に東北地方に伝わる鹿踊りやアイヌの熊祭りも、縄文文化をルーツにしていたことを示唆するのだ。
会場で小さな展示物が目に留まった。赤子の手形・足形を押し付けて作った土製品で、具体的で生々しく、親子の強い絆を感じさせる。当時は乳幼児の死亡率が高く、子供の形見として墓に収められたという説があるが、時空を超えて共感を誘うものがある。