「おもしろうてやがて悲しき鵜舟哉」松尾芭蕉…
「おもしろうてやがて悲しき鵜舟哉」松尾芭蕉。きのうの小紙1面に、初夏の風物詩・長良川(岐阜市)の鵜(う)飼い開き(11日夜)の写真が掲載された。かがり火が真っ暗な川面を朱色に照らし出す一隅に集まるアユを、鵜が素早く潜っては捕らえる。
その鵜を巧みな手縄捌(さば)きで操る伝統的な漁法は1300年以上の歴史と伝統を持つ。中国では四川省の後漢時代(1~3世紀)の遺跡から、鳥を使って魚を捕る舟上の漁師を描いたレンガが見つかっている。
鵜飼いをイメージした古代エジプトの遺物も出ている。ただ、起源は分かっていない。鵜飼いは日本各地で行われているが、宮内庁の「式部職鵜匠」という代々世襲の特別職に任じられた烏帽子(えぼし)に腰蓑(みの)装束の6人の鵜匠が、妙技を披露しているのはここだけ。
長良川の清流を舞台にした絵巻物のような幽玄の世界に魅了されたのは芭蕉だけではない。岐阜城で天下統一を志した織田信長が武田信玄の使者をもてなしたと伝えられ、喜劇王チャプリンも2回訪れ見ている。
鵜飼い開きの初アユは皇室に献上され、各国の駐日大使らを招いて楽しんでもらう文化外交にも役立っている。平成27年3月には国の重要無形民俗文化財に指定され、岐阜市はユネスコ(国連教育科学文化機関)の無形文化遺産にと、各方面に活発に働き掛けている。
かがり火に浮かび上がる鵜匠と鵜と屋形船の観光客。1枚の写真が語る、その奥は時間、空間を超えて深い。