「祝はるゝことには慣れず母の日を」(宮田…
「祝はるゝことには慣れず母の日を」(宮田節子)。きょうは「母の日」。米国で始まったが、俳句の季語に「母の日」があるので日本にも定着したと言える。
「母への感謝の日として1908年アメリカに始まり、わが国でも大正2年(1913)以来日本基督教会を中心として広まった。戦後一般的な行事となり、母のない者は白、母のある者は赤のカーネーションを胸に飾る」(稲畑汀子編『ホトトギス新歳時記』)。
その母との強い絆が崩れていったのが戦後日本であると論じたのが、文芸評論家の江藤淳だった。『成熟と喪失“母”の崩壊』で、戦後派の作家(第三の新人)の安岡章太郎(『海辺の光景』)、小島信夫(『抱擁家族』)、遠藤周作(『沈黙』)などの作品における母子関係を分析し、成熟できない子としての姿を描いて戦後の家族風景の荒廃を指摘した。
そこに、母を幼時に失った江藤自身の体験が反映していることは間違いない。江藤は母に甘える時期を持たず、外圧的に成熟(家長意識)を強いられた。
江藤は文学から政治へとその基軸を移し、家長意識の延長に国家を想定して近代日本の出発となった幕末から明治時代について論じるようになった。勝海舟に政治的人間の理想を見いだし、全集の編纂(へんさん)にも加わっている。
しかし、父性的な国家意識の成熟の果てに何があり得るのか。そのビジョンについては何も語っていない。唐突とも言える自死が返す返すも残念でならない。