日本から米大リーグのエンゼルスに移籍した…


 日本から米大リーグのエンゼルスに移籍した二刀流の大谷翔平選手が、投手として1勝し、打者としても3試合連続のホームランを打つなど、ファンの度肝を抜いている。野球の本場で遜色のない活躍ができるのも、それだけ日本の野球が成熟してきたということだろう。

 その野球を日本に導入された初期から愛して「野球(のぼーる)」と号したのが、明治の俳壇を牽引(けんいん)した俳人・歌人の正岡子規である。従来の花鳥諷詠(ふうえい)のような観念的なものではなく、ものを実際に見て作る「写生」というリアリズムを主張したのも、野球に熱中する行動的な性格からきているようだ。

 やがて子規は病気で野球ができなくなり、庭を眺めながら好きな俳句を作って俳画を描いた。30代で死去した子規の衣鉢を継いだのが高浜虚子。といっても、子規の「写生」が即物的であったのに対し、虚子は日本の伝統的な花鳥諷詠を再評価した。両者の個性の違いが浮き彫りになっている。

 子規と虚子の師弟関係は、文学者の常として微妙なものがある。俳句観などの違いのほか確執があったという見方があるほど。子規という巨大な存在に抵抗しなければ自己の個性を発揮できない、というジレンマが虚子にはあったのかもしれない。

 子規は俳句の革命児だったが、虚子は伝統的な五七五調と季語を重んじたことから「守旧派」ともみられた。

 子規に比べて長生きした虚子は、昭和34(1959)年のきょう、85歳で亡くなっている。