「もう7年なのか、いやまだ7年なのか」…


 「もう7年なのか、いやまだ7年なのか」。東日本大震災から7年となった11日の政府主催の追悼式で、福島、宮城、岩手県の遺族代表が述べた言葉には、強く心に響くものがある。昨日の小紙に全文掲載されている。

 冒頭の自問に「心の中で、いくら考えても導かれる答えが出てきません」と福島県の五十嵐ひで子さん(70)は自答する。避難を始めた直後に襲われた大津波で、夫と叔父を亡くした。

 「あの時、『父ちゃん、早く逃げっぺ』の言葉さえ言えていたらと思うと、自分を責める気持ちでいっぱい」だったという。今は震災の教訓を語り継ぐ語り部として「この震災を風化させず後世に伝えるために、『自分の命は、自分で守る』『逃げる意識』を伝え続けて」いく意思を語る。

 留守を守る両親を亡くした宮城県の小野寺秀俊さん(69)は「震災は私の人生で、とてつもない試練でしたが、元気で頑張ることがお返しと思い」地域イベント活動など、やれることを始めた。

 昨年までは海を見て落ち着かなかったのが、今年の元旦には震災後初めて行った野蒜海岸で「波打ち際で初日の出を見ることができて、輝く太陽と波の音が気持ちを新たにしてくれました」と。

 7年の歳月は復興を進展させてきたが、今もなお7万人を超える避難者がいることも忘れてはならない。震災の記憶と教訓を継承し、いつ起きるか分からない次の大震災に際しては防災、減災すべく日頃の備えに努めていきたい。