「流燈や一つにはかに遡る」(飯田蛇笏)…
「流燈や一つにはかに遡る」(飯田蛇笏)。「流燈」とは「灯篭(とうろう)流し」のこと。毎年、お盆の時期に行われる年中行事である。
蒸し暑い残暑のさなか、幻想的なその光景を見ると、少しばかり涼しい気分に浸ることができる。稲畑汀子編『ホトトギス新歳時記』には「灯籠に火をつけて川や海へ流すのをいうのである。真菰で舟形に作ったものや板の上に絵灯籠を据えつけたものが多い。白紙を貼ったのみの角形の灯籠が灯って水に浮かぶさまは、ことに哀れに美しい」とある。
死者を悼む行事で、しめやかで静かなイメージがあり、さだまさしさんの「精霊流し」の曲がまさにその光景をほうふつとさせる。ところが、実際はこの静かな灯篭流しとさださんの「精霊流し」はまったく違うのだという。
さださんの故郷・長崎の精霊流しは爆竹を鳴らしたりする派手な行事で、お祭りのようなにぎやかさなのだとか。しかし、死者を悼む気持ちは変わらない。さださんの曲は、派手な行事の裏側にある送り手側の悲しみの気持ちを表現しているという。
こうした例を見ると、同じような言葉であっても、実際にはまったく違った意味や内容を持っていることが多々あると感じさせられる。
「とまりたる蛾も燈籠と流れゆく」(三星山彦)。最近の「灯篭流し」は町おこしも兼ねてイベント化していることもあって、開催日にばらつきがある。きょうは仙台市で「第28回広瀬川灯ろう流し」が行われる。