「鉄板を踏めば叫ぶや冬の溝」(高浜虚子)…


 「鉄板を踏めば叫ぶや冬の溝」(高浜虚子)。歳時記では、11月の季語は冬のものとなる。例年7、8日ごろが「立冬」だからだ。「寒い季節である。草木も枯れ北国では雪の日々が続く」(稲畑汀子編『ホトトギス新歳時記』)。

 北海道では、10月中に札幌など8地点で初雪を観測した。これは16年ぶりのことだという。東京では、まだ冬という感じではないが、朝夕の冷え込みは冬の寒さに近づいている。

 それでも、日中の日差しはまだ暖かい日が多い。秋の日差しは春と似ているようで、よく観察すると似ていない。春の光は湿気を感じさせるが、秋の光はどこか乾いた感じで降り注ぐ。そのあたりをよく表しているのが、中原中也の詩「一つのメルヘン」である。

 「小石ばかりの、河原があつて、/それに陽は、さらさらと/さらさらと射してゐるのでありました」。中也は、この光を鉱物の硅石(けいせき)の粉末に喩(たと)えている。秋の光は、どこか寂しいけれど、心を落ち着かせてくれる癒やしの効果がある。

 秋は紅葉が美しいが、この光の効果もあるだろう。歳時記には、その紅葉を鑑賞する「紅葉狩」という言葉もある。狩猟を連想させる「狩」という表現を使うのも、独特なものがある。

 「老の杖はげましつゝも紅葉狩」(白石天留翁)。おそらく、紅葉の美しさを求めて山野を散策した昔の人々の心映えが反映しているのだろう。日本人の自然に対する美意識がそこには感じられる。