昨年8月に94歳で亡くなった作家の阿川弘之…
昨年8月に94歳で亡くなった作家の阿川弘之のことを、長女の阿川佐和子さんが描いた話題の本『強父論』(文藝春秋社)を読んだ。家庭での阿川の姿を赤裸に描いて、相当に容赦のないものだ。
その中心テーマとは別に、読んで得をしたように感じられたのは、阿川が佐和子さんに直伝した文章作法である。例えば、「流行の形容詞は使わないようにしなさい。すぐに文章が死ぬ」。
ほかに「知ったかぶりをしたような文を書くなよ。いつも志賀先生の目にとまるかも知れないというくらいの気持で書け」など。
阿川は当代を代表する文章家だったが、その師は「小説の神様」と言われた志賀直哉だ。「知ったかぶりをしたような文を書くな」というのは、恐らく阿川自身が志賀から注意されたことなのだろう。
しかし阿川の文章心得で一番はっとさせられたのは、「立ち上げる」という言葉を使うなというもの。「立ち上がる」という言葉はいいが、自動詞の「立つ」と他動詞の「上げる」を組み合わせるのはおかしい、そんな「あやふやな日本語」を使うなというのである。
「コンピューターを立ち上げる」など、今では頻繁に見られる。人気作家・村上春樹氏の『職業としての小説家』という本でも、何カ所も「立ち上げる」が出てくる。問題にもしなかった人がほとんどだろう。しかし阿川の指摘は、正しい日本語について考えるきっかけになるかもしれない。