文芸誌「三田文学」(127号)に、昨年5月に…


 文芸誌「三田文学」(127号)に、昨年5月に69歳で急死した作家の車谷(くるまたに)長吉(ちょうきつ)を偲(しの)ぶ特集が掲載されている。村上春樹氏などとは正反対の、文学者らしい文学者だったことが伝わってくる。

 特集には「否定性の作家、車谷長吉を追想する」と題する対談が載っている。それによれば、妻が留守中の孤独死で、一時は自殺説もささやかれた。だが、イカの刺し身を喉に詰まらせるという自殺方法は可能か、と考えると可能性は低そうだ。ただ、それほど厳しい精神状況に置かれていた。

 身近な人々には「いつでも死ねる」と公言していたとのことだから、自殺願望が常々あったことも間違いない。知人、友人、親族と絶縁。昔の盟友とも絶交した。そんな彼が結婚していたことは「意外」と受け止められた。

 高名な先輩文学者を、プライバシーも含めて口汚くののしった文章も平気で公表した。文壇では明らかに不利なことで、普通の作家はそんなことはしないのだが、気にもしなかった。強迫神経症という病気を患っていたことも広く知られていた。

 小説家であることは間違いないが、村上氏のように自身を小説家と決め付けることはなかった。小説は発表しつつも、自分自身を明確に問い詰めることは、終始やめなかった。

 「死ぬか生きるか」を根底に置きながらの生涯だった。作品と自身の「生き様」は表裏一体だった。古風ながら本物の文学者との印象を新たにする。