「あっ、古倉さん、今度の日曜日、午後だけ…


 「あっ、古倉さん、今度の日曜日、午後だけ入ることってできる? 菅原さんがライブで出れなくてさー」「はい、入れます」――。第155回芥川賞を受賞した村田沙耶香さんの『コンビニ人間』の中の、店長と主人公の会話である。

 日常風景の活写をベースにしたこの小説、言葉遣いも最近は確かにこんな感じ、と思わせるリアルさがある。本来「出られなくて」とするところが「出れなくて」と、いわゆる「ら抜き言葉」になっている。

 文化庁の2015年度「国語に関する世論調査」で、1995年から5年に1回調査しているら抜き言葉の使用が、初めて多数派になった。例えば、「見れた」を選んだ人は48・4%で「見られた」の44・6%を上回り、「出れる」も「出られる」を上回った。

 ただ、言葉によって違いがある。「来(ら)れる」は「来られる」「来れる」が伯仲している。

 「られる」には、可能のほかに受け身や尊敬の意味もある。年代別では若い人ほどら抜き言葉が多いともいう。らを抜いた方が可能の意味が伝わりやすいというのが、その背景にあるらしい。ら抜き言葉使用の広がりにもそれなりの理由があるようだ。

 言葉は時代とともに変化する、と国語学者はいう。確かに日本語の歴史を見るとそうなっている。その変化に特に必然性がない場合は時と共に消えていく。それでもやはり、正しく、美しい日本語のスタンダードは常に持っていたい。