映画が主要な娯楽だったころ、盛夏の興行は…
映画が主要な娯楽だったころ、盛夏の興行は「お盆映画」と銘打たれ、「東海道四谷怪談」が定番だった。いつまでも暑さの残る夕べ、映画館に足を運んだものだ。
先月、講談師・神田松鯉さんの講談「四谷怪談 お岩誕生」を東京の末廣亭で聞いた。御家人田宮又左衛門の一人娘おつなが、数奇な運命をたどる「お岩」を出産するまでが語られるのだが、練り込まれたセリフ回しは、リアルで怖い。
「東海道四谷怪談」は鶴屋南北作の歌舞伎狂言で全5幕、文政8(1825)年に江戸中村座で初演された。四谷のほか、浅草、雑司ヶ谷、深川、本所などを舞台に話が展開される。
「四谷怪談」は今に生きているとして、国文学者・高田衛さんは自著で「(『大東京四谷怪談』の)作者高木彬光が、完全にお岩さんを(フィクションであることを承知しつつ)、全東京の地霊神として把握していることを痛感した」と書いている。
お岩の墓は、今も東京・巣鴨の妙行寺にあるが、「地霊神」とは言い得て妙だ。わが国には記紀の時代から、土地土地に、実にさまざまな民話や伝説が存在し、その中には怪談めいたものが少なくない。時代はずっと下るが、四谷怪談はその東京版で、都会のフォークロアというわけだ。
民話、説話の類は、それぞれの地域の「地誌」を抜きに味わうことはできない。民話、説話の存在がややもすれば顧みられなくなる時代は寂しい。