「仮の世のひとまどろみや蝉涼し」(高浜虚子)…


 「仮の世のひとまどろみや蝉涼し」(高浜虚子)。都会でも、セミの鳴き声が降りしきるように聞こえてくる。

 最近、街を歩くと舗道で、セミの死骸(しがい)をよく見掛けるようになった。かつて地方に住んでいた時は、あまり道に転がった死骸を見ることはなかった。それはアリが掃除屋となって巣に運んだりするからである。

 都会は舗装されてむき出しの土が少ないので、アリの姿さえも見掛けることがまれである。そのため、セミもそのまま取り残された感じなのだろう。

 そうしたアリの営みを詩に昇華した三好達治の作品を思い出す。「蟻が/蝶の羽をひいて行く/ああ/ヨットのやうだ」(「土」)。この詩は4行で分かち書きされ、視覚的にも美しく、リズム感もあり、情景が目に浮かぶように捉えられている。

 教科書にもよく掲載されているので、知っている人も多いだろう。アリとセミといえば、イソップ寓話(ぐうわ)を思い出す。日本ではアリとキリギリスになっているが、本来はアリとセミである。イソップ寓話だと、教訓が主になっている。一方、達治の詩は自然の中にある調和を醸し出している。

 セミの命は短いが、それだけ精いっぱい生きて子孫を残すと考えれば、それはそれで貴く美しい。短期間でこれまでの努力の成果を全てさらけ出し闘うリオデジャネイロ五輪の選手たちの姿にも重なるものがある。ガンバレ日本! 改めて声援を送りたい。