「51対49」でいい、それ以上を性急に求める…


 「51対49」でいい、それ以上を性急に求める必要はない。先崎(せんざき)彰容(あきなか)著『違和感の正体』(新潮新書)に出てくる言葉だ。特別目新しいものではないのに新鮮な印象を与えるのは、今の日本社会の流れとは違った発想だからだ。

 「51対49」でできないことは、憲法改正も含めて世の中にはたくさんある。マンションの管理組合の場合でも、総会の議事決定に必要とされるのが「3分の2以上」だの「4分の3以上」だのは普通だ。

 それは重々承知の上で「51対49」の過半数でいいのではないか、と著者は言う。特に野党、メディア、国民大衆らが、本来極めて複雑な政治課題を性急に解決するよう求める傾向が最近強くなっている。このような現実を踏まえた上でのことだろう。

 野党だけではない。政権担当者も含めて、長期的観点から時代を判断する余裕がなく、饒舌(じょうぜつ)な議論にも耐えられないから、ワンフレーズを求める。結果、「100対0」の尖(とが)った議論になりやすい。

 当今のそうした流れに対する強い「違和感」を表明したのがこの本だ。人心は頼りないものだ、との考えがそこにはある。

 なお、1970年前後は「異和感」だった。当時の本を見れば一目瞭然だ。それがいつの間にか「違和感」になった。どういう流れでそうなったのかは分からない。「いわかん」という音は同じでも、昔の「異和感」の方がしっくりくるように思えるのだが。