沖縄県の与那国島を出発した2艘の草舟は強い…


 沖縄県の与那国島を出発した2艘の草舟は強い潮流で北に流されたため、航海を中断、伴走船に乗り移って、草舟も横付けして目的地の西表島に向かった。実験航海は失敗だった。

 このプロジェクトを指導してきた国立科学博物館人類史研究グループ長の海部陽介さんは「海の状況がもっと良い日を選んだ方がよいのか、舟の問題なのか」と語り、「結果をよく考えたい」と結んだ。

 海部さんの著書『日本人はどこから来たのか?』(文藝春秋)によると、日本にホモ・サピエンスの集団がやってきた最古の例は、対馬ルートで、3万8000年前。3万7500年前には舟で本州と伊豆諸島の神津島を往復していた。

 神津島産の当時の黒曜石が静岡県で発見されたのがその証拠だ。琉球列島の場合、3万年前までさかのぼる遺跡が各所にあり、ホモ・サピエンスが海を何度も渡り、複数の島にたどり着いたことを伝えている。

 考古学上の発見から考えられるのは、当時の人々が舟を作って航海する技術を持ち、海洋についての知識もあったということ。それを検証するための実験が、2艘の草舟による航海だった。

 だが、古代人が海洋と航海についてどのような知識を持ち、どのような舟を作り、どう操ったかという問題は謎。木や草で作られた舟は腐るため遺跡には残らないのだ。古代人といえども、現代人の想像も及ばないような知識と技術を持っていた可能性がある。