悲劇の定義は様々だが、神に対して傲慢だった…


 悲劇の定義は様々だが、神に対して傲慢だった人間(男が多い)が滅亡する話、というのもその一つだ。シェイクスピアの悲劇について、河合祥一郎著『シェイクスピア』(中公新書)はそう定義する。

 『ハムレット』(1600年)のハムレット王子は、父を殺した叔父に復讐を誓う。それが「神への傲慢」なのは「復讐するは我(神)にあり」だからだ。復讐するのは神であって、人間がするのは傲慢だ。

 『リア王』(1606年)のリアは、荒野で「風よ吹け」と叫ぶ。これも「神への傲慢」なのは、自然現象を司るのは王ではなく神だからだ。シェイクスピア劇では神が直接顔を出すことはないが、その存在は自明の前提とされている。だから劇中で特に言及しないのだ。

 ハムレットの有名なセリフ「生きるべきか死ぬべきか」。「死ぬべきか」にうっかり自殺を含めてしまうことがあるが、キリスト教徒であるハムレットがそんなことを言うはずがない、と河合氏は述べる。

 厳しい現実にじっと耐えつつ生きるのか、それとも武器を取って命懸けの戦いに踏み切るのか、といった選択の問題だ、というのが河合説だ。

 日本人には苦手な「神」へのこだわりがシェイクスピア作品にはある、との考え方がこの本には示されている。そのシェイクスピアが亡くなったのは、1616年4月23日。ちょうど400年前のことだ。享年52は、当時としては平均的な年齢だっただろうか。