世に「聞き上手」はいるが、作家古井由吉氏…
世に「聞き上手」はいるが、作家古井由吉(よしきち)氏(78歳)のケースは「達人」の域に達しているのではないかと思えてくる。
ドイツ文学者手塚富雄(故人)によると、34歳年少の古井氏は「優秀な捕手」のようだった。親子ほど年の離れた手塚は、古井氏に対する時は、ありのままに自分の気持ちをさらけ出すことができた。
同門の大先輩をそういう気持ちにさせるものを、古井氏があらかじめ持っていたのだろう。聞かれたことに対して歯切れよく的確に受け答えするのが単なるコミュニケーションだとすれば、それとは違ったもっと奥深い交流が、2人の間に成立していたようなのだ。最低限のコミュニケーションさえなかなか成り立たない中、稀有な話だ。
手塚が調子に乗って妙な物の見方を伝えても、古井氏はそれを自家薬籠中の物にしてしまう。その上で、新しい角度から思考のキラメキを加えつつ返してくる。
21世紀の今、この種の濃厚な対話は、どんどん減っていくと思われる。様々な場における古井氏との対話のやりとりを回想した手塚の文章が書かれたのは40年前。「現代の文学」と題する文学全集(全39巻)の「月報」として発表された。
その「月報集」がこのほど『「現代の文学」月報集』(講談社文芸文庫)として刊行された。「月報」に悪口を書く人間はいないと言われるが、それを差し引いても、古井由吉という作家の懐の深さはよく伝わってくる。