作家の幸田文さんが北海道の富良野に東大演習林…


 作家の幸田文さんが北海道の富良野に東大演習林を見学に行った時のこと。目当てのエゾマツが分からなくて専門家に質問すると「あなたは梢の葉っぱばかり見るから、わからなくなっちゃう、幹の色、木の肌の様子も見てごらんといわれた」(『木』)。

 幸田さんは樹皮を木の着物として見れば、覚える手掛かりになると知る。そうして観察するのだが、また別のことも教わる。木も幼少時代から老年時代まであり、年を取るとともに肌が変わるということを。

 都会の街路樹を見てみると、地面はコンクリートで覆われ、肌は汚れた空気で荒れ、枝も道路を邪魔しないようにあちこち切断されて、住み心地がいいようにはまったく感じられない。

 一方、山国にドライブして、食事処でそばを食べながら渓流を眺めている時など、岸辺に生えている樹木のたくましさ、明るさ、伸びやかさに驚かされる。これが都会で見るケヤキと同じ種類の木なのかと。

 「渓の樹の膚ながむれば夏きたる」(飯田蛇笏)。作者と郷土を同じくした小林富司夫さんは「多分それは楢であろうが、その灰白色の木膚が強い陽ざしに生気を放ち、まるで樹木の声々がきこえてくると思われる」(『蛇笏百景』)と解説。

 戦後間もなくの作だが、蛇笏は戦争で愛息2人を亡くし、農地解放で身を削がれた。その傷心を癒やしてくれたのが遠景近景の自然だ。蛇笏は木肌のみずみずしさに夏を感じていた。