「先方は名刺を出さず、パンフレットの後記に…


 「先方は名刺を出さず、パンフレットの後記に名が記してあるという」と、松本清張(1992年没)は書いている(『清張日記』朝日文庫・89年刊)。81年8月、茨城県の五浦(いづら)を編集者同行で訪れた時の話だ。五浦は岡倉天心ゆかりの地。名刺をくれなかった人物は、茨城大学付属の研究機関所員の男性。

 「先方は名刺を出さず」という言い方は「こちらは出したのに……」という思いの反映だろう。男性は名刺を切らしていたのか?。

 清張がカチンときた様子が読み取れる。当時清張は、十分に著名な作家だった。男性の応対が印象に残ったので、日記に記したのか?。

 会話の中で男性は、数多い天心関係の著書を冷笑した上で「K氏のものだけは天心の本質に迫っている」と付け加えた。清張は「K氏は有名美術家ならなんでもほめる八方美人的美術評論家」と日記に記す。わざわざそう書いたのは「この男も大したことはないな……」と言いたかったためだろう。

 あるいは所員は、初対面の清張側の対応にカチンとくるものを感じたのかもしれない。尊大に見えてしまう部分が清張にあったのか。清張はこの本の中で、自身の「交際下手」を告白している。

 一般に茨城県人は、無愛想でサービス精神が低いと言われる。ミステリー作品には決して描かれることのない清張の心の動きを示すこのエピソードは、交際下手と無愛想のひそかな衝突例とも考えられる。