1958年3月、上智大学山岳部OBの飯塚揚一は…
1958年3月、上智大学山岳部OBの飯塚揚一は、学生たちのパーティーに遅れて出発した。北アルプスの燕山荘をへて大天井岳で追いつくつもりだったが、吹雪でビバーク。
17日と18日の記録を残し、息絶えた。ビバーク地はルートから外れていて発見が遅れた。遺族の手記が小冊子「山に祈る」にまとめられると、それを読んだダークダックスが清水脩に作詞作曲を依頼。
出来上がったのが合唱組曲「山に祈る」だ。60年に完成し公開された。ダークダックスが歌った曲の中には、山の歌が多かった。「雪山讃歌」「山男の歌」「エーデルワイス」「雪山に消えたあいつ」など。
58年に第9回NHK紅白歌合戦に初出場し、第22回まで14回連続出場。76年にも再登場し通算15回出場した。この男性重唱団が活躍した時代、日本はちょうど登山ブームだった。56年5月、マナスル(8163メートル)に日本山岳会隊が初登頂したことがきっかけ。
大学や高校の山岳部に加えて、社会人山岳会の活躍も目立っていく。彼らによってダークダックスの山の歌も盛んに歌われたのである。グループの一人で、バリトンを担当した「ゲタさん」喜早哲さんが先日亡くなった。
喜早さんは右から2番目の位置で、メロディーパートを担当。メンバー4人はそろって81年度に芸術選奨文部大臣賞を受賞した。日本で最も長期にわたり活動したコーラスグループだった。