「一片の落花の影も濃き日かな」(山口青邨)…
「一片の落花の影も濃き日かな」(山口青邨)。東京地方では、各地の名所で桜の花が咲き誇っているとのニュースが報道されている。それを見ると、一気に春の暖かさが押し寄せてきたような気持ちになる。
芽や葉よりも花が先に咲くということもあるかもしれない。枯れ木のような枝に花が米粒のように無数に咲いている情景は、まさに豪華で美しいという印象だ。
昔話「花咲かじいさん」では、愛犬のシロを殺されたおじいさんが臼を焼いた灰を枯れ木に撒くと、花が満開になる。この枯れ木も花が先に咲く桜でなければならない。
小社近くの公園では、桜の開花前から寒い風の中でシートを敷いて花見をしている人たちを見かけた。今や満開の桜の中で、友人同士や家族、会社の同僚、学生など、さまざまなグループが宴会をしている。花見とは花の観賞だけではなく、飲食を共にする宴であることがよく分かる。
花見の宴は無礼講でありながら、どこか秩序も感じられる。これは花見が単なる物見遊山ではなく、そのルーツに五穀豊穣を願う神事的なことを含んでいるからだろう。
桜を愛した西行法師は、花の季節に死にたいと願ったことはよく知られている。桜の早過ぎる落花は、そんな無常観に通じるものがあるのだろう。平成18(2006)年のきょうは、小紙に小説「田沼意次」を連載した作家・村上元三氏が亡くなられた日でもある。ご冥福をお祈りしたい。