経歴にまつわるスキャンダルは時々起きる。…
経歴にまつわるスキャンダルは時々起きる。今月中旬に発覚したテレビコメンテーターのケースは、学歴が公表されていたものと実際とではかなり食い違っていた。全く別の人格になり切ろうとしたものの、大きな番組の総合司会者になる予定を目前にして挫折した。
経歴だけでなく、風貌や発声なども変えた。高校時代の旧友が気づかなかったほど徹底的だった。見事に変えおおせた、と言っていい。
隠したい過去があって、そのために自分を変えた話は、推理小説にも映画にもいろいろある。だが、今回のケースはただ有名になりたい、経済的利益を得たいというのが動機だった。その点で21世紀的だが、半面、欧米人への変身願望は昔からよく見られる。
肝心のテレビコメンテーターとしての実力は「△」との評価が多い。ダメとは言えないが、特にこれといったものもない、というところか。コメンテーターはあまたいても、視聴者はコメントの中身にそれほど重きを置いてはいないようだ。
いったんウソをつくと、それなりに一貫性が求められる。そのために、別のウソをつかなくてはならなくなる。辛い話だ。
「違う人間になりたい」というのは、多かれ少なかれ、人間の内部に潜む願望だ。それはそれで理解できる。この人物に怒りを感じる人もいるだろうが、違う人間になろうとして果たせなかった今回のケースには、むしろ人間の物悲しさを覚える。