文化審議会(宮田亮平会長)が国宝に新たに…


 文化審議会(宮田亮平会長)が国宝に新たに指定するよう馳浩文部科学相に答申した中に、東京国立博物館所蔵の「紙本金地著色洛中洛外図」がある。

 図は浮世絵の祖とされる岩佐勝以の作品。江戸時代初期の京都の様子が生き生きと描かれており、答申は「近世初期風俗画の到達点」という評価によるものだ。歌舞伎や浄瑠璃が演じられる様子も描き出されている。

 出雲の阿国が、かぶき踊りの興行を始めたのは慶長8(1603)年ごろとされる。和辻哲郎著『桂離宮』(中公文庫)によると、この時宮廷の働きで「(阿国を)御所へ召して三日間興行せしめられた」という。

 またその後「浄瑠璃の太夫藤原吉次(監物)が河内の目(さかん。注・地方官位)を受領した」「後陽成院が御所で操浄瑠璃を御覧になった」ことがあった。和辻はこれらを「宮廷の伝統的権威を持って、新興の芸術をその芽生えたとたんに引き立てたということを意味する」と評している。

 その結果、浄瑠璃は大きく発展した。当時の武家政権の頭目・徳川家康に対し、後陽成院は独自の権威を持っていた京都の力を誇示したのだろう。京都の民衆はその動きに乗って生き生きとしている。

 「洛中洛外図」からは、そんなことも見えてくる。時代が変化する時、節目には、いつも京都の街に様々な人々が行き交い、新しい力が生まれてきた。日本史の不思議な仕掛けというべきだ。