「この世にはどんなことでも起こる」と思った…
「この世にはどんなことでも起こる」と思ったのは、東日本大震災から何日かたってのことだ。直後は、被災者ではない国民の一人として、ただ呆然としていたのが実情だった。
岩手県在住のある作家は「自分のやってきたことは無意味だった」と書いた。震災のあった平成23年の3月中に書かれたものだ。「地震と自分の業績の間にどんな関係があるのか?」とやや批判的に受け止めたことを覚えている。
が、思い返してみれば、震災はその作家も含めて、自分のこれまでについて「何をしてきたのだろう?」と問い返す機会を与えた。全国各地で、発表されようがされまいが、多くの人々がそんな問いを発していたと思われる。
自分の行いと震災の間には何の関係もない。たかが人間が巨大な自然現象の原因になる、などと考えるのは、とんだ思い上がりだ。だが、そんなことは分かった上で、それでも何かのつながりがあったかのように考える働きが人間にはある。
科学的にはあり得ない話だが、これほどの大災害になると、一種運命的なそうした発想が生まれる。それもまっとうな話だ。
明治29年6月15日の明治三陸大津波では、5年前の震災と同じ地域で2万7000人の命が失われた。その14年後、柳田国男著『遠野物語』に、この災害の話が書き留められている。今回の震災が文学的表現を得るためには、そのくらいの時間が必要なのか、とも思う。