「下萌や土の裂目の物の色」(太祇)。…


 「下萌や土の裂目の物の色」(太祇)。俳句の季語「下萌(したもえ)」は草の芽が土の中から出てきた状態で、厳しい冬から解放され、命が静かに、しかし力強く大地から現れてきたことを表現している。

 稲畑汀子編『ホトトギス新歳時記』には「冬枯の中に春が立ち、いつの間にか草の芽が萌えつつある。野原や園、庭や道端など、または垣根や石垣の間など、思わぬところに草の芽を見いだすことができる」とある。

 俳句は短い詩型なので風物を具体的に詠むことが主になるが、それも明治時代の正岡子規による俳句革新運動から来ている。それまでは観念的・伝統的な花鳥風月観が主流だった。

 芭蕉の俳句も王朝的な伝統文化の中で詠まれているし、蕪村も漢詩的な空間で風物を描いている。一茶の場合はユーモラスな俳句が少なくないが、子規の提唱する客観的な写生とは違う。

 その意味で、子規の俳句観は日本で長年培われてきたものとはやや趣が異なる。写生という方法自体は西洋の自然主義的リアリズムから来ていると言ってよいが、子規が肺結核で寝たきりになったという事情もあるかもしれない。

 身動きがあまりできないために視覚に神経が集中し、物を外面から観察する意識が強かったからだとも言える。文学作品も作者自身の心身の状態と無関係ではないはずだ。夏目漱石の鬱(うつ)もその事例になろう。いずれにしても、草が萌える風景は視覚的に春を感じさせることは確かである。