作家の故・吉村昭さんは取材や資料収集の…


 作家の故・吉村昭さんは取材や資料収集のために旅行をする機会が多かったが、とりわけ好んだのは長崎の街。1966年春から93年1月までの間になんと85回も訪れている。

 エッセー集『七十五度目の長崎行き』(河出書房新社)によると、初めて行ったのは戦艦「武蔵」について書くためで、舞台となったのが三菱重工業長崎造船所だった。その最初の旅でこの街に魅せられ、家族や友人とも旅行した。

 「名所旧蹟がびっしりとつまっていて、長崎特有の市内電車に乗ってそれらを観てまわる。それに、食べ物が無類にうまい上に人情がことのほか篤く、私は、長崎へ行っても常に快い気分で、帰途につく時、また来たい、と思う」。

 内村鑑三は『地人論』で日本の天職について論じ、「彼女は東西両洋間の媒介者なり」と地理学者の見方を紹介した。日本の港で東に開いているのは米国、西に開いているのは中国を向いている。

 西に向いた港の一つが長崎で、オランダ、英国、中国などと深い歴史的関わりを持ってきた。諸文明との出会いと交流がこの街独特の高い文化をつくり上げてきたのだ。ちゃんぽん麺がいい例だ。

 観光庁の観光立国ショーケース事業は、外国人旅行者を地方へ誘客するモデルケース作りが目的。長崎がそのモデルの一つとなる。産業革命遺産や教会群もあり、受け入れ環境を整えるという。旅行者が増えてサービスの質が低下しないようにと願う。