ここ最近、「気付かされた」という言い方を…


 ここ最近、「気付かされた」という言い方を耳にすることがよくある。テレビのインタビューに答えた一般人の発言に多い。自分の中での出来事なのに、どこか他人事のように見える。「気付いた」ではなぜいけないのだろう。

 文法では、「気付かされた」は受動態、「気付いた」は能動態と呼ばれる。「気付かされた」と言った場合、気付いた本人よりも気付かせた相手に関心が向かうことが多い。「気付いた」であれば、相手よりも自分自身に力点が置かれる。

 「気付かされた」となれば「周囲の影響もあって……」といった言い訳も可能だが、「気付いた」となると自分に全責任がかかってきそうで怖い、という面もありそうだ。周囲の空気に配慮しすぎる、という傾向が表れている。

 「気付いた」と言うと何だか偉そうだから、周囲との関係も考えてここは一歩引いておこう、という処世術が働くのだろう。

 「××で獲られた本マグロ」という言い方もある。「獲れた」でいいと思うが、発話者はぶっきらぼうと受け止められる、と考えたのだろうか。「ちゃんと処理されてほしい」となると、完全な誤用だ。論文の試験などでは減点の対象にもなるはず。

 ここはとりあえず空気に合わせておこう、と考えて言葉を発した結果なのか、それ以外の何かの原因があってのことなのかは不明だが、当今の度外れた受け身表現の氾濫はいささか気になるところだ。