「夭々とわが干支の年立ちにけり」(鈴木節子)…
「夭々とわが干支の年立ちにけり」(鈴木節子)。小紙の新春随筆欄(1月1日付)に掲載された「華のやう」と題する作品の中の一句。作者は今年84歳を迎える。何と月日の流れの早かったことか、と感慨を詠んだ。
その歳月の中で最も大きな出来事は、おそらく、同じ俳人の鈴木鷹夫さんと出会い、結ばれたことではないかと思われる。作者が石田波郷、石田没後は能村登四郎に師事したのも、夫と一緒。
「だれに身を尽くさんと年改まる」とも詠んでいる。だれに身を尽くさん、という言葉からは、平成25年4月に身罷ったご主人のことが連想される。この句にはその喪失感が込められている。
夫妻は2人の師に学んで、独自の俳句観を形成した。鷹夫さんは「俳とは雅に対するアンチテーゼ、庶民性、おどけ、たわむれ」と語り、「含羞であり野暮を言わぬこと。知識や教養を表に出さないこと」と論じた。
夫が「春待つは妻の帰宅を待つごとし」と詠めば、妻は「男とは夫のことなり燕来る」と作って、俳句仲間を脱帽させた。「蟻地獄に落ちしか妻の見当らぬ」(鷹夫)など、オシドリの契りを詠んだ句は多い。
二人はそれぞれ人生の伴侶であったばかりでなく、共鳴し合う作品のモデルでもあった。子供たちも含めて、家庭が俳句の根になっていた。「鏡餅重ければ神呻くなり」(鷹夫)と、神社の神様まであたかも家族の一員のようである。