「君が代や寺へも配る伊勢暦」(一茶)。…


 「君が代や寺へも配る伊勢暦」(一茶)。カレンダーを見ると、今年も本当にあとわずか。この時期、買ったり貰ったりした新しいカレンダーが数種類あるのはどの家庭も同じだろう。

 毎年のことながら、カレンダーの掛け替えをしたのはいつだったのか、記憶にないことが多い。大晦日か、その前後なのは間違いないのだが、年の瀬の忙しさに紛れて忘れてしまうのだろう。新しい暦を見れば、新年の抱負を抱き、未来への希望をひしひしと実感するのも毎度のこと。

 「知遇の縁歳暮今年も変りなく」(横井迦南)。知人からお歳暮が届くのも、この時期ならではの慣習。ほとんど顔を合わせない人でも、嫌でも思い出し、懐かしい気持ちになる。

 虚礼という批判もあるけれど、ごく身近な人やお世話になった人への挨拶としては必要だろう。無理をしない範囲ということでだが……。現代までに慣習化されていることには、それなりに存在意義がある。

 もちろん、形骸化したものもある。その場合はなくなるのもやむを得ない。ただ、あまり意味がないように見えても生活の潤滑油になることもある。

 「我が生は淋しからずや日記買ふ」(高浜虚子)。「来年のことを言うと鬼が笑う」ということわざがある。将来のことは予想できないということだが、それでも、年内に日記や手帳を買いたくなってしまう。今年から来年へと時間が継続することを信じるからである。