「洛外の眠れる山の史蹟かな」(藤岡李江)。…


 「洛外の眠れる山の史蹟かな」(藤岡李江)。山が人間のように眠るという表現は、季語「山眠る」から来ている。稲畑汀子編『ホトトギス新歳時記』によれば「生気を失った冬の山が、あたかも眠っているように静かに見えるさまをいう」とある。

 自然と共生してきた日本の伝統的な精神文化を思わせる表現である。「山眠る」があるとすれば、「山起きる」「山覚める」といった反対の意味の季語がありそうだが、それはない。

 相当するのは「山笑ふ」である。『ホトトギス新歳時記』には「春の山をいう。『臥遊録』の『春山淡冶にして笑ふが如く、夏山蒼翠にして滴るが如く、秋山明浄にして粧ふが如く、冬山惨淡として眠るが如し』という一節からとった季題である」とある。

 その点では、日本の自然に対する姿勢や感覚も、古来のものだけではなく、海外からの移植文化も含まれていることが理解できる。特に、中国大陸や韓半島との関わりによるものが大きかったことは言うまでもない。

 だが、そうした見方や感じ方を独自に深めていったのも、日本人の自然との付き合いから来ていることも確かである。俳句における季語は、日本人が育ててきたものと言ってよい。

 昭和26(1951)年のきょうは、俳人・原石鼎の亡くなった日で「石鼎忌」と呼ばれている。代表的な句に「頂上や殊に野菊の吹かれ居り」や「秋風や模様のちがふ皿二つ」などがある。