「虎となり鼠となりて老いにけり」。勝海舟…


 「虎となり鼠となりて老いにけり」。勝海舟辞世の句だ。亡くなったのは明治32(1899)年1月19日午後。数えで77歳。この句は死の前年末に詠まれた。

 普通の武士だった男が何かの拍子で虎になった。中島敦「山月記」のようなものだ。「山月記」は、臆病と自信過剰が同居した男が虎になってしまう話だが、それと違っているのは、歴史が海舟を虎にしたという点だ。

 幕末期でなければ、下級の幕臣が歴史の表舞台に立つことはなかった。彼は慶応4(1868)年3月、西郷隆盛との交渉の結果、江戸無血開城を実現した後、歴史の表舞台からは退いた。10年ばかりの「虎時代」が終わった。虎から鼠へ。46歳。

 30年ほど鼠の時間が残されているが、虎だった過去を持つだけに、ただの鼠というわけにはいかなかった。職を失った元幕臣の救済事業にも力を尽くした。

 虎時代の回想も残しているが、自慢話が多いと指摘されることも少なくない。明治初期に松平春嶽の家で、不仲の福沢諭吉と怒鳴り合ったこともあった。虎から鼠に変わったばかりの頃だ。

 側近の記録によると、風呂から出た海舟は、胸に激痛を覚えた。その時、「今度は死ぬるぞ」と微笑みながら言葉を発した後、亡くなった。最後は虎に戻った感もある。「青年時代→虎→鼠」という流れは、海舟ほどの天才でない者にも、それぞれの人生に照らして思い当たるものはある。忘れ難い辞世だ。