日本を代表する哲学者、西田幾多郎と田辺元は…
日本を代表する哲学者、西田幾多郎と田辺元は、激しい論争を行ったことで知られている。長く音信も途絶えていたが、ドイツが降伏した昭和20年5月、田辺から西田へ書簡が届く。西田は5月20日付で返信を送るが、これが両者最後のやりとりとなった。
その西田書簡の一部を引く。「御議論、御高見、憂国の御精神、敬服の至りに存じます。及ばずながら私共も今日いろいろの意味に於て皇室がお出ましになる外ないかと存じ居ります。先に近衛公其他にもそんな事を話したこともあります……」。
田辺はそれまでの論争の行き掛かりを捨て、戦争終結のためには、天皇御自身が終戦の詔勅を発せられる以外ないとの考えを、元首相の近衛文麿や海軍とのパイプを持つ京都学派のリーダー西田に提言。西田もその考えであり、近衛に進言したことを明かしている。
2人が考えたように、70年前のきょう、昭和天皇の終戦の詔勅が玉音放送の形で発せられ、戦争は終わった。
西田は日本の将来を案じながら、終戦の約2カ月前に世を去る。その思いは弟子たちへの書簡に吐露されている。
4月8日付高坂正顕宛の一節。「一時は万一国家不運の時あるも必再起、大いに発展の時が来ると思います。道義文化の立場に於て真に東洋に大なる使命を有って居るのではないですか。本当の日本はこれからと存じます」。70年を経て「本当の日本」へ新たな一歩を踏み出したい。