「鳴きやめて飛ぶ時蝉の見ゆるなり」(正岡子規)…
「鳴きやめて飛ぶ時蝉の見ゆるなり」(正岡子規)。子規は俳句を作るに当たって事物を正確に描く「写生」を説いたが、実作でもその自然を捉える描写は実に的確と言えるだろう。
確かに鳴いているセミはどこの木に止まっているか分からないことが多い。そのバタバタした飛び方で、初めて居所を知ることができる。その意味では、羽のある昆虫の中では一番生き方が不器用な印象がある。
写生の元となったのはフランスの自然主義だが、その背景には科学的な思考法の発達がある。空想を排し人間も自然の一部であることを認識して、それを観察し描写した。自然主義の文学運動は『ナナ』『居酒屋』で知られるフランスの文学者エミール・ゾラによって提唱された。
ゾラは人間の行動を環境と遺伝から捉えてその気質などを描いたが、写生は禅宗のような飛躍と空間把握があると感じる。観察的というよりも論理的な思考が働いているように思われる。
東京地方は蒸し暑い日が続いている。それでもまだセミの鳴き声を聞くことはあまりない。先日、ミンミンゼミの声が遠くからかすかに聞こえたが、あのうるさいような「せみ時雨」まではいかない。
俳句では、アブラゼミやミンミンゼミは夏、ヒグラシとホウシゼミは秋の季語になる。そろそろセミが一斉に合唱する時期も近い。ふつうに考えれば騒音のようだが、耳には快く感じられるのが不思議である。