「船頭多くして船山に登る」ということわざ…


 「船頭多くして船山に登る」ということわざがある。「船岩に登る」という言い方もある。だが、何を意味するか知らない人もいる。

 ある若者のケース。このことわざを初めて聞いて、その場で解釈してくれた。「皆が団結すれば、不可能も可能になる(船も山に登れる)」というのが彼の解答だ。間違いなのだが、彼が優秀だったからこそ、この程度の答えを出すことが可能だった。

 船が山に登ることはあってはならない、という前提がことわざには含まれているのだが、そんなことは若者には関係がない。「船頭が多ければ、皆で協議していい結論に達するだろう」という発想だ。船頭が多いために見当違いの方向へ向かう、という風には考えない。

 「船頭多くして」だけでなく、ことわざ全体が通用しにくくなっている。ことわざが成り立っていた社会の「共通の理解」が失われつつあるようなのだ。

 もっとも言葉の多くは、時間の経過とともに意味が変化してきた。言葉によっては、変化せずにいる期間が、我々が漠然と考えるほど長いわけではなさそうだ。「適当」という言葉にしても、かつては間違いなく「適切」を意味していた。今では「いいかげん」の意味で使われることが多い。

 ことわざも、長らく通用するようなものではなく、消滅したり意味が変化したりするものと考えた方がいいのかもしれない。何やらさみしい話だが、そんな風に思えてくる。