「我は海の子白浪のさわぐいそべの松原に、…


 「我は海の子白浪のさわぐいそべの松原に、煙たなびくとまやこそ我がなつかしき住家なれ」。文部省唱歌「われは海の子」は平成19年に「日本の歌百選」に選ばれた最高傑作だ。作詞は宮原晃一郎、作曲者は不詳。

 作詞家の星野哲郎さんは「第2の国歌にしてもいいくらいだ」と絶賛した。作られたのは明治43年で、日露戦争に勝利して5年目。歌詞は7番まであり、少年たちは口ずさんで海軍にあこがれたという。

 気流子も子供のころ親しんだ歌だが、そんな歴史的背景があったことを知ったのは、音楽文化研究家の長田暁二さんが先月上梓した781ページの大著『戦争が遺した歌』(全音楽譜出版社)によってだ。

 この大著は、明治から戦後にかけて作られた代表的な軍歌や戦争関連の歌を253曲紹介し、歌の背景と歌詞の内容について詳細な解説をほどこしたもの。歌という視点から戦争と平和について振り返った著作だ。

 軍歌の中には、戦局の変化から歌うことが禁じられたものまであったという。八木沼丈夫作詞、藤原義江作曲の満州を舞台にした「討匪行」もその一つ。

 昭和8年にレコードが発売されてヒットした歌で、歌詞14番に「敵にはあれど遺骸に花を手向けて懇ろに」とある。ところが太平洋戦争に突入すると、軍部は「鬼畜の如き敵に花を手向けるのはけしからん」と、歌うのを禁止したという。戦争は日本が武士道を失っていった過程でもある。